
こんにちは、ヒッチです。
小説の『吸血鬼ドラキュラ』の正式な映画化作品第1作にあたる
1931年『魔人ドラキュラ』についてザックリ書いていきたいと思います。
【注意!】ネタバレしますので、見たい人はこんなブログ読んじゃダメですよ~♪
※2025年10月、この記事を大幅に書き直しました。
魔人ドラキュラ Dracula
監督:トッド・ブラウニング
脚本:ギャレット・フォート
出演:ドラキュラ伯爵/ベラ・ルゴシ
   ミナ・セワード/ヘレン・チャンドラー
   ジョン・ハーカー/デヴィッド・マナーズ
   レンフィールド/ドワイト・フライ
   ヴァン・ヘルシング教授/エドワード・ヴァン・スローン
1931年/アメリカ映画/75分
概要

1930年当時、ブロードウェイなど世界の舞台で上演されて大ヒットを記録していた『吸血鬼ドラキュラ』。
それをユニバーサルが破格の金額で映画化権をゲットして、ようやく正式に映画化されたのがこの『魔人ドラキュラ』です。
ちなみに原作小説の『吸血鬼ドラキュラ』のザックリ説明もしてます♪
企画当初は人気ブロードウェイの映画化という事で多額の資金を投じて映画化する予定だったそうですが、1929年から始まった世界恐慌のあおりをしっかり食らい、予算削減となったみたいですっっ。
それもあってか今作の脚本は原作小説ではなく、ブロードウェイで公演されていた舞台版を元に作成されています。
ちなみに↓が舞台版の台本。現在Amazonkindleにて販売中です♪面白い!
実は当初の予定ではドラキュラ役はベラ・ルゴシではなく、千の顔を持つ男として有名だったロン・チェニーが予定されていました。
しかし撮影前に死去!
ユニバーサルは散々ドラキュラ役を探したけどいい人材が見つかりませんっ。
その間ず〜〜〜〜っと猛アピールを繰り返していた(らしい)けど「ちょっとコイツは……」と制作サイドが無視していた(らしい)ベラ・ルゴシに仕方なく白羽の矢が当たった(らしい)。
当時ベラ・ルゴシは舞台でドラキュラ役を何年もやっていたそうで、すっかりドラキュラが身に染みていたんですかねえ。ドラキュラに扮したルゴシさんは作中、一度も瞬きをしていない(らしい……気づかんかったなあ)や、
イマイチ英語が苦手だったおかげであのハンガリー訛りがインパクトを与えたと言われていますが、実は全然英語をマスターしてて、わざとハンガリー訛りにしていたという説も出てきてるみたいで、真相はどちらでしょうねえ(笑)?
ただ自分の顔を隠さないといけないのにが隠すのを拒否したり、牙をつけるのを拒否したという話があったり(牙があると上手く話せなかったため)ルゴシさんはそこそこ問題児なイメージもありますねえっっ。

レンフィールドには舞台俳優として活躍されていたドワイト・フライさんに、そしてヴァン・ヘルシング教授には舞台でルゴシさんと共演していたというエドワード・ヴァン・スローンさんを起用。
ハーカーには当時若手のホープと見られていたっぽいデヴィッド・マナーズさん。ただこれも最初は別の俳優さんで決まってたのがスケジュールの都合で降板、そしてまた別の俳優さんに決まったけど今度はスキャンダルで降板し、デヴィッドさんのところに役が転がり込んできたのが真相みたいですねっっ。
そしてミナ役のヘレン・チャンドラーさんは監督のトッド・ブラウニングさんが彼女の主演の映画を観て起用したそう。この時ヘレンさんはもうスターだったそうで、今作の俳優陣で1番のギャラをもらっています♪
そんなキャスト陣で1930年9月末に36日間のスケジュールで、カルフォルニアのユニバーサル・シティでポルゴ峠のシーンから撮影をスタートしたそうです。
ちなみにあの広いドラキュラ城内部もユニバーサルのスタジオのセットで画面上部はガラスに描いた絵とのコト。
とても有名な話として、昼は英語版を撮影し、夜はスタッフ&キャストが全員違うスペイン語版が撮影されていました。そちらは現在、DVDの特典などで鑑賞可能です。
また、1927年に世界初の長編トーキー(音の出る映画)映画『ジャズ・シンガー』が登場して4年しか経過しておらず、地方の映画館などではトーキーに対応した機材がない所も多かったそうで、今作はサイレント版も存在しています。観たことないですけど♪
ちなみにデメテル号(今作ではヴェスタ号)の船員たちが嵐の中で右往左往するシーンは1925年の『The Storm Breaker』という映画のシーンを再利用したそうな。けっこう大胆な(笑)!
また、ドラキュラ城でレンフィールドが書類で指を切ってしまうシーンは1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』のシーンをちゃっかりいただいちゃったらしいです(笑)。オリジナルの尊厳は~?
そして製作費の関係でこの作品はサウンドトラックが作られず、全編静か~……な印象です(笑)。そしてそのおかげでオープニングはチャイコフスキーの「白鳥の湖」を使っておりまして、これもこの映画の象徴の1つとなっていますね~♪

こんな感じで1931年2月12日にニューヨーク、ロキシー劇場で初上映されると宣伝効果もあってチケットバカ売れでこの年のユニバーサル映画の最大ヒットになったそう。
ただここで問題が。
初上映のフィルムにはエピローグとしてヴァン・ヘルシング教授が劇場ののスクリーンの前に現れて「吸血鬼がいることを思い出してください」的なことを言って映画が終わってたらしいのですが、これが「スピリチュアル信仰を助長する」という理由で検閲に引っかかって以降のフィルムにはそのエピローグはカットされちゃったそうっっ。
現在でもそのシーンは戻っておらず、DVDの特典のドキュメンタリーで少し確認できるくらいです。
そんな訳でユニバーサルは「ホラーはいける!」とばかりに『フランケンシュタイン』『狼男』『ミイラ再生』などのユニバーサルホラーってヤツにつながっていったそうです♪

ちなみにユニバーサルモンスターの映画を全部あげるとけっこうな数になりますので、ここではドラキュラ伯爵が絡んでいる作品を歴代で紹介します♪
- 『女ドラキュラ』(1936) 娘です♪
- 『夜の悪魔』(1943) 息子です♪
- 『フランケンシュタインの館』(1944) フランケンシュタインの怪物、狼男がメインでドラキュラはオマケ♪
- 『ドラキュラとせむし女』(1945) ドラキュラがメインのモンスター総登場♪
- 『凸凹フランケンシュタインの巻』(1948) モンスター総登場のコメディです♪
公開後の影響

こんな感じでシリーズ化された事もあり、ドラキュラさんは今作で世界的にキャラクターとしての絶対的な地位を登り、【吸血鬼=ドラキュラ】とまでになったのですけど、その後の影響をちょっとまとめてみました。
ちなみにこの頃のドラキュラさんは全身真っ黒ではないですし、まだ牙もありませんね♪
- ドラキュラ伯爵は基本上品な紳士♪
- ドラキュラ伯爵はドラキュラ城で今作からワインを断るようになりました♪
- 狼の鳴き声を聞くと「夜の子供たち」とその声に聞き入ります♪
- レンフィールドの狂人じみたキャラクターとその笑い方♪
- ドラキュラの人気が強すぎて1950年代まで吸血鬼の小説や映画もドラキュラの以外が登場できない状況が続いた
パッと思いつくのはこんなです♪
もっと基本的なことを書くと、1958年のハマー映画『吸血鬼ドラキュラ』が登場するまでは【ドラキュラ=ベラ・ルゴシ】であり、2025年現在でも「ドラキュラといえば?」との問いには、
ベラ・ルゴシかクリストファー・リーのどちらかの名前があがると思われます。
実際にドラキュラ(または男性の吸血鬼)のお面などの顔は大抵オールバックの2人の顔をミックスさせたようなものが多いですね♪
1980年代以降は【吸血鬼=ドラキュラ】だけではなくなり、ドラキュラさんの出番も少なくはなりましたが、なんだかんだほぼ毎年ドラキュラが登場する作品は発表され続けていまして、日本に入ってきていない作品がめっちゃあるのが現状です(笑)♪
そして忘れられがちですが、ドワイト・フライさん演じるレンフィールド。これこそ現在に至るまで影響しまくりの怪演で、影の主役は間違いなく彼です!
ドラキュラ映画の新作が出るたびに何気なくドワイト・フライさんのレンフィールドと比較してしまいますし、2023年公開の『レンフィールド』でもニコラス・ホルト演じるレンフィールドがまったく同じ笑い方をしていましたね♪
あらすじ

トランシルバニアの古城から霧煙るロンドンへ上陸したドラキュラ伯爵(ベラ・ルゴシ)。その正体は恐るべき吸血鬼だった。彼に見初められた美しい令娘ミナ(ヘレン・チャンドラー)は、夜ごと血を吸われて病気がちになる。次第に衰弱していく彼女の身を案じた婚約者ハーカー(デヴィッド・マナーズ)は、超常現象の研究家ヘルシング教授(エドワード・スローン)と共にドラキュラ退治に乗り出すが・・・。
Amazonより引用
なんか……こんなんだっけ?こんだけど……
原作との違い(しっかりネタバレ)
| 違う箇所 | 原作の『吸血鬼ドラキュラ』 | 『魔人ドラキュラ』 | 
|---|---|---|
| トランシルバニアに行く人 | ジョナサン・ハーカー | レンフィールド | 
| ドラキュラ伯爵の荷物の数 | 50箱 | 3箱 | 
| セワード | ルーシーの3人の恋人の1人 | ミナのお父さん | 
| ルーシー | 3人の恋人がいるモテモテの女子 ドラキュラに殺され吸血鬼に。 | 序盤でドラキュラに血を吸われ死亡。 その後で子供を襲っていたり、 魂は救われたりというセリフで説明されるが姿はほぼ出さずじまい。 | 
| ラストにドラキュラとミナが向かう場所 | トランシルバニアのドラキュラ城 | 近くのどっかのたぶんお城。 あれどこ? | 
こんな感じです。
他にもジョナサン・ハーカーがジョン・ハーカーだったり、ドラキュラ伯爵を運ぶ船がデメテル号からヴェスタ号になってたりと、ちょっとずつ違う箇所があります♪
この映画、概要にも書いた通り舞台の『吸血鬼ドラキュラ』の台本を元に脚本を作られたためか、
作品の中盤以降はセワード精神病院での会話劇になりますし、話が全然動かなくなります。
原作では重要な役のジョン・ハーカーは、この映画ではセワード精神病院のシーンでなんとなくいる人にしか私には見えない(笑)。
それに原作で中盤をメッチャ盛り上げるルーシーのじわじわと血を吸われてみんなで輸血して助けるシーンなんかも今作では全カットで悲しい……。
 
評価
| IMDb | 7.3/10 | 
| Rotten Tomatoes | トマトメーター(批評家の評価)…96% 視聴者スコア…82% | 
| 映画データベース-allcinema | 6.6/10 | 
| Filmarks | 3.5/5 | 
| Amazon | 4.1/5 | 
こんな感じ♪海外の2つのサイトはやっぱり高い!つーかトマトメーター96%はちょっとどう?ほめ過ぎじゃない?日本人の方が思い入れもない分、冷静な気がする~……
キャストなど

ドラキュラ……ベラ・ルゴシ
1882年オーストリア=ハンガリー帝国ルゴシュ出身。12歳の時に学校を中退、肉体労働などをされていたそうですが1902年から舞台で芝居を始めおり、1910年にはセゲド国民劇場と契約、その後もハンガリー劇場、国民劇場と活躍の場を移していきこの頃にはハンガリーでも有名な俳優さんになっていたそう。
第一次世界大戦が始まると入隊してロシアなどと戦うも戦場で負傷し帰還。この頃サイレント映画が多く作り始められた時期で、ベラさんは“アリスティッド・オルト”の名前で1917年『Leoni Leo』から映画出演をされたそうです。
その後国が混乱し、ベラさんは亡命をせざるを得なくなってドイツに亡命しベルリンで俳優を続けるも1920年にアメリカに亡命、まったく英語ができなかったそうですがハンガリー語の舞台を上演する劇場を開始。これがウケてたみたいですね♪1923年に映画『The Silent Command』でアメリカ映画初出演。その後も『魔人ドラキュラ』まで10本くらいの映画には出演されていますね。
1928年から舞台『ドラキュラ』のツアーに参加、それが今作につながっていったそうです。
1931年『魔人ドラキュラ』で成功した後、『モルグ街の殺人』『恐怖城』『黒猫』『古城の妖鬼』などのホラー映画に出演しホラー映画に欠かせない俳優さんになりましたが、本人はそれを窮屈に思っていたみたいですね。いろんな映画のオーディションを受けていたそうで、1933年には『International House』というコメディ映画にも出演されてたりします♪
そしてドラキュラを映画で演じたのは今作と『凸凹フランケンシュタインの巻』の2回のみというのも有名な話。ただし、似たような配役は多かったり、明らかにドラキュラを意識した役はチョイチョイ演じています♪『吸血鬼蘇る』とか♪
また自身が出演を断った1931年『フランケンシュタイン』の怪物役でボリス・カーロフが大ブレイク。ユニバーサルホラーの2台巨頭になるも、共演するとベラさんは必ずボリスさんより下にクレジットされており、2人に確執があったんじゃないか?という話がよくあるんですけど、実際にはそういったものはなかったみたいですね。
晩年は戦場の負傷が原因とみられる慢性坐骨神経痛に悩まされ、その痛みの緩和のためマルヒネなどの麻薬が処方されるようになり、これがきっかけで麻薬中毒になっていったみたいですね。
また『凸凹フランケンシュタインの巻』以降、ベラさんは低予算の作品かTVの出演と仕事量も減り(といってもそこそこ出演作あります)、経済的に辛くなっていったそう。そしてエド・ウッド監督と出会い、『グレンとグレンダ』『怪物の花嫁』に出演、そして最後の出演となった『プラン9・フロム・アウタースペース』では映画冒頭に登場し、え?というような退場をします(笑)。
そのあたりは映画『エド・ウッド』でコミカルに美しく映像化されていますのでよかったらぜひ♪
ただ映画『エド・ウッド』と違う点として、ベラさんは映画では孤独な老人として描かれていますが、実際には奥さんと暮らしていたそうです。そして1956年8月16日、ベラさんは自宅アパートの寝室で心臓発作となり、帰宅した奥さんが見つけて緊急搬送したものの、その日の夕方に息をひきとったとのことです。73歳だったそうです。
レンフィールド……ドワイト・フライ
1899年アメリカ出身。1917年には舞台俳優として活動を開始されているそうで、1918年にはスクリーンデビューもされています。1920年代は舞台俳優として活躍、映画にも出演されていますね。
1931年『魔人ドラキュラ』レンフィールド役と同年『フランケンシュタイン』フリッツ役の2作で怪演したのがきっかけとなり、そういった役ばかりが求められて、本人は困惑していたみたいですね。しかも演じたあげく大幅カットの目にもあったりもしていますっっ。
ただ舞台ではコメディやミュージカルなどにも出演されていたそうですので、そこでフラストレーションは解消……できてたかなあ~?
1943年11月7日、ドワイトさんは息子さんと映画を観た帰りのバスの中で心臓発作を起こし、そのまま亡くなってしまったそうです。まだ44歳でした。伝記映画『ウィルソン』の出演契約を終えた数日後のことだったそうです。
ミナ……ヘレン・チャンドラー
1906年アメリカ出身。1918年にブロードウェイデビューを果たし、舞台女優としてその後成功していったそう。映画の初出演は1927年『The Music Master 』。その後1930年『Outward Bound』が評価されてこの頃には充分スターな売れ方をされていますね。
1931年の今作も充分すぎる成功作ですが、同年の『最後の偵察』でニッキ役を好演、この作品はその後ミュージカル『ニッキ』として上演されたそうです。1933年『人生の高度計』でも成功をおさめ、この時は劇場や舞台、ラジオで超多忙だったみたいですね。
ただ、1931年の今作の頃にはアルコール依存で大変だったようで、1938年で映画の出演は辞めて舞台の世界に戻るもアルコール依存がたたって仕事が減っていったそうです。1940年には療養所に入りましたが治らず、何度も入退院を繰り返していたみたいですねっっ。
1950年に喫煙中の居眠りが原因で火事になり頭を負傷したそうです。そして1965年4月30日に出血性潰瘍の手術後に亡くなったとのことです。59歳だったそうです。

ハーカー……デヴィッド・マナーズ
1900年カナダ出身。お父さんが作家兼編集者兼評論家のジョージ・モアビー・アクロムという方。19歳でお父さんが働いていた出版社のEPダットンで出版助手として働き始めたので、周りに人たちはお父さんの後を継ぐと思っていたそうです。
しかしデヴィッドさんは仕事を辞めてトロント大学で林学を学び始め、そこの演劇グループに所属するとそっちが楽しくなったのか1924年にトロント市内にあるハート・ハウス劇場で舞台俳優デビュー♪破天荒じゃね?
そしてお父さんの反対を押し切って大学を後数か月のところで中退!俳優のバジル・シドニーさんの率いるツアーに参加、その後ニューヨークに住みトリニティ演劇学校へ入学♪そして舞台に上がり続け1929年に『The Sky Hawk』で映画初出演。
1930年以降は年にはかなりなペースで映画に出演『魔人ドラキュラ』もそんな中の1本だったみたいですね。1931年ヘレン・チャンドラーさんと再共演した『最後の偵察』、1932年『ミイラ再生』で評価されるもすこしずつ業界に違和感を覚えていったそうで、1936年『Lucky Fugitives』を最後に映画界から去ります。
その後は1953年まで舞台俳優として活躍し、その後は引退されたそうですが、1941年に小説家としてデビューもされており、引退後は絵や文学の執筆などの時間にあてていたそうです。
晩年は老人ホームで暮らしていたそうで、1998年に98歳の大往生で亡くなったとのことです。ちなみに『魔人ドラキュラ』は全然観てなかったと言われています♪
ヴァン・ヘルシング教授……エドワード・ヴァン・スローン
1882年アメリカ出身。1915年ペンシルベニア州ランカスターという場所にあるフルトン・オペラハウスという劇場で舞台俳優としてデビューし、1916年にはスクリーンデビューもされています。
その後ブロードウェイに進出して活躍、しばらく映画とは無縁になってまして、久しぶりの映画出演が1931年の今作『魔人ドラキュラ』になります。
今作以降もユニバーサルホラーの常連さんになりまして、『フランケンシュタイン』ではミュラー博士、『ミイラ再生』ではウォルドマン博士と似たような役やってます♪そして『女ドラキュラ』でもヘルシング教授を再演しています♪ちょっと名前が違いますけど♪
それ以外の映画でも医者、教授、弁護士と固い役ばっかりやってます♪
ただ、充分に顔が売れてるはずなのに1950年の俳優引退まで89作も出てるのにクレジットなしが多いですっっ。時代的に主要人物以外はクレジットなしだったとは思いますけど……
1964年に81歳で死去されたそうです。

監督……トッド・ブラウニング
1880年アメリカ出身。16歳の時にサーカスの女性と恋に落ち、そのまま家を出てサーカス団で働き始めたそう!すげ~っっ。曲芸師などをしてたみたいです。
その後マジシャンの助手になり、コメディアンたちのツアーに参加、いろんな所を回ったそう。そういった経験を活かして1909年に喜劇俳優としてスクリーンデビュー。50本以上のドタバタ喜劇に出演されたそうで1913年、“映画の父”D・W・グリフィス監督の目に留まりグリフィス作品に初出演。ここで映画製作も学んだみたいですね。
1915年には短編映画で監督デビュー。というかこの頃はまだ長編映画が主流になっていない時代ですね♪そんな訳で次々と作品を発表していきます。
しかし1916年ブラウニング監督が飲酒運転していた車が踏切を越えて貨物列車と衝突、同乗していた俳優のエルマー・ブースは即死、ブラウニング監督ともう一人の同乗者のジョージ・ジークマンは重症という大事故を起こしてしまいます。警察はなぜか法的措置を取らなかったそうですが、これがブラウニング監督のトラウマになったそうです。
その影響は映画のモロに反映されて、以前のような喜劇にはなくなり、メロドラマになっていったそう。またこの時期にグリフィス監督の代表作『イントレランス』の助監督をされています。
そして1917年『Jim Bludso』で初長編映画を発表。その後も精力的に作品を発表し続けてスタイルもこの頃から確率され始めたようですね。1920年プリシラ・ディーン主演『スタンブールの処女』が大ヒットしたそうで、この頃はプリシラ・ディーンさんとのコンビで9本の作品を監督されたそうですよ♪
またこの時期に“千の顔を持つ男”ロン・チェイニーとも出会っており、1919年ディーンさん主演『The Wicked Darling』に起用しています。
その後映画会社MGMが1924年に設立、翌年にブラウニング監督とチェイニーさんはMGM入りし、そこから2人のコンビで『三人』『黒い鳥』『マンダレイへの道』『知られぬ人』などヒットを連発、この流れで『魔人ドラキュラ』の話が来ますがチェイニーさん死去で現在の形になります。
ちなみに1926年このコンビで『London After Midnight(真夜中のロンドン)』という作品を発表してまして、チェイニーさん扮する刑事が吸血鬼に変装して事件を解決するという内容で1935年にベラ・ルゴシ主演で『古城の妖鬼』というタイトルでリメイクされています。
それ以降も1932年に問題作『フリークス(怪物團)』を発表。これが物議をかもしまくって興行的にも失敗、映画業界からの信頼もなくし、これが映画人の人生を終わらせたと言われてるみたいですねっっ。
その後『古城の妖鬼』を含む4本の映画を監督して1942年に引退、マリブで奥さんと暮らし始めますが1944年に奥さんが亡くなり、その後20年間くらい1人で世捨て人のような生活をされていたそう。
1962年に自宅で82歳で亡くなったとのことです。現在では『フリークス(怪物團)』の評価は上がっておりカルト化してる気もするので~……どうかな?とも思いますがブラウニング監督は喜んでくれてるといいなとも思います。
個人的な感想

まあDVDも何種類も持ってますし、大好きなんですけど(笑)。
でもBOX東中野(現在はポレポレ東中野)で初めて鑑賞したときの素直な感想は……
「おもしろくない~~……」
でした(笑)。
いや、期待しすぎてたという前提ももちろんあるんですが~……
淡々としすぎてますし、場所は病院から動かないですし、後半特に会話劇ですし、最後なんかうめき声聞こえて終わっちゃうし(笑)、これは面白くないでしょ(笑)!!
というのがホントに初見の感想。
そこから原作を読んだり、ビデオを借りて見返したりしていくうちに好きになってったんですよね。
1931年という時代でこの頃はまだホラー映画というジャンルがなかったそうですので、その時代だから受けたというのは大きいと思います。
が、正直この時代の面白い映画はめっちゃあります(笑)ので、ホントに吸血鬼のドラキュラ伯爵というキャラクターを扱ったのがやっぱり大きかっただけじゃないかな~……って、とっても思います。
ドラキュラ伯爵を演じたベラ・ルゴシは今観ても上品でカッコいいんですよね。これは大きいと思います。
レンフィールド役のドワイト・フライはイき過ぎちゃっててすんごいですし、
ハーカーは鏡に映らないドラキュラ伯爵を見たと思ったのに、その後も常識人ぶってむしろアホにしか見えないトコとか、
レンフィールドを監視してるおじさんとメイドさんのやり取りはしっかりギャグだったり、
なんか妙だけどクセになるんですよね。
ただ、個人的にはヴァン・ヘルシング役のエドワード・ヴァン・スローンさんが私的にはしっくり来てないのか印象に残らないのと、やっぱりルーシーのくだりが全カットなのはちょっとな~……って思っちゃいます。
ルーシーは後半にチラっとだけ登場しますが、チラっと過ぎちゃってっっ。
そういった事もあり、万人にはとてもおすすめできる作品ではないと個人的には思っていますが、吸血鬼の歴史などに興味を持っている方とか、古典が好きな方には全然おすすめな作品です♪
という事で今回は『魔人ドラキュラ』についてザックリ書いてみました。
んじゃまた~♪♪
※参考文献
ウィキペディア……魔人ドラキュラ
IMDb……Dracula
Rotten Tomatoes……Dracula
映画データベース-allcinema……魔人ドラキュラ
Filmarks……魔人ドラキュラ
 
       
       
       
       
  
  
  
   
 


