
こんにちは、ヒッチです。
今回は1967年の映画『吸血鬼』についてザックリ書いていこうと思います。
今回もなるべくネタバレなしの予定です。
※その前に、吸血鬼年表を作りました。よかったら見てやってくださいませ♪
吸血鬼 The Fearless Vampire Killers または Dance of the Vampires
監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロマン・ポランスキー/ジェラール・ブラッシュ
出演:アブロンシウス教授/ジャック・マッゴーラン
アルフレッド/ロマン・ポランスキー
サラ・シャガール/シャロン・テート
ヨイン・シャガール/アルフィー・バス
クロロック伯爵/ファーディ・メイン
1967年/アメリカ、イギリス合作映画/108分
概要
1967年のアメリカとイギリス合作のホラーコメディ映画。監督は巨匠、ロマン・ポランスキー。
主に当時人気があった英ハマーの吸血鬼ものを下敷きに作られている感じがしますが、
そこはロマン・ポランスキー監督、しっかりオリジナルのコメディ作品となっております。
それにコメディ作品と言っても作中のセットや衣装は素晴らしく、
それにアスペクト比2.35:1 のワイドスクリーンを使用してカラーで撮影されたポランスキー監督の最初の長編作品という事で、やはり大画面で観るべき作品。
脚本は主演のジャック・マッゴーランの為に書かれたとも言われていたり、
作品の色彩が宿屋の主人の名前にも使われている画家のシャガールを意識していると言われていたり(そうなの?)、
案外、芝居が即興だったりといろいろエピソードがあったりします。
ただアメリカで公開される際に問題が起こりまして、
1967年のイギリスの初公開時は『Dance of the Vampires』だったそうですが、
アメリカで公開する際に配給元のMGMがもっとバカっぽい作品にしたかったのか12分のシーンをカットし、OPをアニメーションに変更、さらに主人公のアブロンシウス教授を演じたジャック・マッゴーランの声をマンガのような声に吹き替え直したんだそうです。
そのヴァージョンが『The Fearless Vampire Killers』または『Pardon Me, But Your Teeth Are in My Neck』というタイトルで流通しているんだとか。
ただ80年代に入ってビデオ時代が到来した頃にカットされたシーンが見直されたて、
カットされた事によってよく言っていなかった批評家や映画ファンの間でオリジナルのヴァージョンが再評価されて、
現在ではオリジナルのヴァージョンがアメリカでも流通されているみたいです。何かややこしいですね。
ちなみに現在日本で売られているヴァージョンもオリジナルのヴァージョンらしい……けど、タイトル『The Fearless Vampire Killers』って出てますね……どゆこと?
そしてこの作品、ロマン・ポランスキーと後に奥さんになるシャロン・テートの初共演作とも知られており、またシャロン・テートの代表作としても挙げられています。
この作品をキッカケに2人は付き合い始めて結婚に至ったんだそう。ただその後のアメリカでは誰もが知っているレベルの悲劇が待っているんですけど……
また、ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』として1997年にウィーンで公演が始まり、ドイツ、アメリカなど、世界中で公演をされたそうで、2006年には日本でも公演されたとの事です。
そんなこの作品、評判は当然高くてアメリカのサイトIMDbでの評価は⭐︎10点満点中7.0とけっこうな高さです。でもポランスキー監督作品の中では低い方なんですけどねっっ。

序盤のあらすじ
アブロンシウス教授とその弟子アルフレッドは吸血鬼の研究の末、トランシルヴァニアのとある村に到着した。その村の宿屋に入った2人はその飾ってあるニンニクの多さに、ここが自分の求めていた土地と確信する。
そして泊まる部屋に通された2人はそこで入浴中の宿屋の娘サラと出会い、アルフレッドは恋に落ちるが……
キャストなど
監督/脚本/アルフレッド……ロマン・ポランスキー
映画史に残る名画をいくつも発表した巨匠ですね。
1933年にポーランドでユダヤ教徒の父とカトリックの母の間に生まれたそうで、
第二次世界大戦の時にナチスに捕まり、アウシュビッツに連行される手前に父が掘った穴から脱出、生き延びる事ができたそうです。
が、母はその後虐殺され、父は強制労働を終戦までしましたが生き延びたそうです。
その後大学を卒業後、俳優の道へ進み、1953年に俳優デビュー。
55年には自身初の短編映画を発表、その後も短編映画を数本発表した後『水の中のナイフ』で長編映画デビュー。この作品が話題になり、
長編3作目にあたる『反撥』でベルリン映画祭で銀熊賞を受賞、続く『袋小路』では同じベルリン映画祭で金熊賞を受賞と早くも巨匠の地位を確立します。
話の途中ですが一方この作品のヒロインの紹介。
サラ……シャロン・テート
1943年のアメリカ生まれで、父が軍人さんだった関係で幼少期は世界を転々としていたらしいです。
その出張先のイタリアでシャロンはエキストラとして仕事を始め、1961年にはノンクレジットですがスクリーンデビューされています。
その後ハリウッドに渡り女優業を続けてTVドラマ『じゃじゃ馬億万長者』に15話分出演し、人気が出た(らしい)そうで1966年『Eye of the Devil』で主要人物の一人を演じ、頭角を現し始めます。
そしてこの『吸血鬼』で初のヒロインとして出演されたのでした。
この出会いがきっかけになり2人結婚しましたが……
ポランスキーとシャロンはこの作品撮影終了後には同棲、結婚。
ポランスキーは『ローズマリーの赤ちゃん』を大ヒットさせ、
シャロンは『サンタモニカの週末』『サイレンサー/破壊部隊』などに出演し、初の主演作品『The Thirteen Chairs』を撮影しました。
しかし1969年8月9日、
ポランスキーが留守に自宅で当時妊娠中の奥さんのシャロン・テートはカルト教団に襲われて惨殺されてしまい、
しかも人違いというとんでもない結末が待っており、
さらにその時にいなかったポランスキーにもマスコミから意味不明の誹謗中傷を受けたそうです。
この事件はアメリカでは誰でも知っているレベルの有名な出来事だそうで、
クエンティン・タランティーノがこの事件を題材に
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を発表していますね(ただし、史実には基づいていませんのでご了承くださいね)。
シャロンの遺作となった『The Thirteen Chairs』は1969年の7月にフランスで、10月にイタリアから公開が開始されたそうです。
その後、憔悴しきっていたポランスキーですが『チャイナタウン』を1974年に発表。
この作品も大ヒットしてアカデミー賞にノミネートされます。しかし1977年、ジャック・ニコルソン邸にて13歳の少女を強姦した罪で逮捕、有罪を受けます。
その時一度は罪を認めたポランスキーですが、「これは冤罪だ」と主張、この事件をきっかけにアメリカから逃亡する形でパリに移住したそうです。
その後もポランスキーはヨーロッパでシャロンが生前演じたがっていた『テス』をナスターシャ・キンスキーを迎えて映画化、その後も『戦場のピアニスト』『ゴーストライター』など、精力的に作品を発表し続けています。
私生活では女優のエマニュエル・セニエと1989年に再婚をされています。

アブロンシウス教授……ジャック・マッゴーラン
1918年アイルランド生まれ。俳優になる前は保険査定員という仕事を8年やっていたらしいです。
アイルランドのアビー・シアターという国立劇場でプロの俳優として活動を始め、
1954年にロンドンに移住してからはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーという劇団に入り、数多くの舞台で活躍された方のようです。
映画の初出演は1951年。『静かなる男』『海獣ビヒモス』『若き日のキャシディ』『エクソシスト』などに出演。その後、インフルエンザの合併症により、1973年に54歳の若さで亡くなっています。
ロマン・ポランスキーとは1966年の『袋小路』で知り合い、ポランスキーがマッゴーランの為に『吸血鬼』の脚本を書いたとの事。

個人的な感想

ん〜……正直書くと……
あまり面白く観れませんでした〜〜っっ。
たまにクスっと笑えるシーンはあるんですけど、
何かハマれなかったです〜〜っっ。
単純に映画が古いので、
笑いのセンスが合わなくなったのか、
それとも私とは根本的に合わなかったのかは分かりませんが、
ホントに「笑い」に関してはダメでした〜〜〜っっ。
ただ、内容は面白かったですし、後半になればなるほど内容は面白くなっていったので、
けっこう観入っちゃったですね♪
それと事前に情報を入れないまま鑑賞を始めたので、
主人公のアルフレッドがポランスキーで、
ヒロインのかわいい美人さんがシャロン・テートとは知らずに観てました。
この後にロマンスが始まったのかと思うとちょっと照れ臭い作品な気がしないでもないですが、
この後の悲劇を知っているだけに複雑な気分にもなりましたね。
とにかくシャロン・テート魅力は存分に発揮された作品なんじゃないかな〜と思います。
そんな訳で映画史の勉強をしている方や興味のある方にはおすすめ出来る作品かと思います。
という訳で今回はロマン・ポランスキー監督が主演し、ヒロインは亡くなった奥さんでした『吸血鬼』ってこんな作品でした。
んじゃまた〜♪♪
※参考文献、ウィキペディア、IMDb、映画データベース-allcinema