こんにちは、ヒッチです。
今回はたぶん日本未公開の映画『The Vampire Bat』について書いていこうと思います。
今回もなるべくネタバレなしの予定です。
※その前に、吸血鬼年表を作りました。よかったら見てやってくださいませ♪
The Vampire Bat
監督:フランク・R・ストレイヤー
脚本:エドワード・T・ロウ・ジュニア
出演:オットー・フォン・ニーマン博士/ライオネル・アトウィル
ルース・バーティン/フェイ・レイ
カール・ブレットシュナイダー/メルヴィン・ダグラス
ヘルマン・グレイブ/ドワイト・フライ
1933年アメリカ映画63分
概要
1933年のアメリカ映画。1931年の『魔人ドラキュラ』の大ヒットにより制作された低予算ホラー映画です。
そもそもこの作品。1932年に公開された『ドクターX』の大ヒットで主演を務めたライオネル・アトウィルとフェイ・レイが『肉の蝋人形』の撮影を終えたので、
その2人の人気にあやかろうと思った?マジェスティックピクチャーズが即席で2人中心の即席映画を1本取る契約を2人として、かなり急ピッチで完成させたらしいです。
実際に『肉の蝋人形』の劇場公開よりも1ヶ月以上も先に公開できたそうな。スゴい!!
そんな低予算&即席映画ですので『フランケンシュタイン』と『魔の家』のセットをそのまま借りて撮影したそうな。
でもドワイト・フライ演じるヘルマンが洞窟に逃げるシーンはちゃんとロケして撮影したそうです。
しかもその洞窟のシーン。『ドクターX』がテクニカラー作品でということを意識してかフィルムに手作業で赤い着色をして、少しでも「低予算じゃないですよ〜」と工夫を凝らしたらしいです♪
ちなみに現在では全編カラーのヴァージョンもあります。
内容的には吸血鬼の仕業と思わせる犯罪に立ち向かう男と村人たちの暴走を描いていまして、吸血鬼映画のフリをしたサスペンスでしょう。
先にも書きましたが、ヘルマン役で“元祖レンフィールド”のドワイト・フライがレンフィールドの1歩手前のキャラを演じて、これがとても良かったです♪
この作品が当時ヒットしたのかはよく分かんないんですけど、作品の評価はそんなに低くなくてアメリカのサイトIMDbでの評価は⭐︎10点満点中5.7と予想以上にいいですね♪
現在ではパブリックドメインとなっていますので、YouTubeやウィキペディアの英語版などでも鑑賞可能です。
序盤のあらすじ
その村ではここ数日、朝になると血を抜かれて死んでいるという事件が頻発し始めた。村人たちは「これは吸血鬼の仕業に違いない!」と恐怖するが、そこに参加していたブレットシュナイダーだけは、「そんな事はない!これは殺人事件だ!」と事件を調べ始める。
キャストなど
オットー・フォン・ニーマン博士/ライオネル・アトウィル
1885年生まれ!出そうで舞台デビューは1904年、スクリーンデビューは1918年の『Eve’s Daughter』、100年以上前ですっっ。
すでに舞台俳優としての名声があったようで、1920年代はオーストリアの舞台を主戦場にしていたみたいですね。
1930年代に入り、『The Silent Witness』でサスペンス映画の主役を演じ、そこから『ドクターX』『動物園の殺人』『肉の蝋人形』『怪人ブリーム博士』など怪奇スターとして活躍されたそうです。
ユニバーサルホラーの常連で『フランケンシュタインの復活』以降のフランケンシュタイン作品にはほぼ出演されているみたいですっっ。全然気にしてなかった〜っっ。
しかし『生きるべきか死ぬべきか』(これ傑作!)などのコメディ作品にも出演されていたりもするので、いかにこの方の懐が深かったかが分かります♪
1966年に亡くなっているそうです。
ルース・バーティン/フェイ・レイ
1907年生まれで、デビューは1923年の短編映画。この当時はサイレント映画だったんですが、すでにかなりな数の映画に出演されています。
時代がトーキーに変わって、売れなくなった俳優さんたちがいる一方で、彼女はむしろ売れ始めたようで、『ドクターX』『肉の蝋人形』などのヒット作に出演、そして1933年『キング・コング』のヒロインを演じて完全にスターの地位を手に入れます。
その後もずっと売れ続けていて1953年にはTVのコメディドラマ(シットコムってヤツですね)『The Pride of the Family』でレギュラー出演もされてたりします。
1980年に引退をし、2004年に自然死したとの事です。
カール・ブレットシュナイダー/メルヴィン・ダグラス
1901年生まれ。父親が著名なピアニストだったそうですが、メルヴィンさんは俳優の道へ行ったんですね。よくある♪
1926年に舞台俳優としてデビューして、1928年にはブロードウェイで活躍、1931年に『今宵ひととき』でスクリーンデビューを果たしています。しかも主役♪
その後も今作をはじめ当然のように売れ続けまして、1939年『ニノチカ』は代表作らしいです。
他にも『大草原』『ハッド』(アカデミー賞助演男優賞受賞)『うしろへ突撃!』『チャンス』(アカデミー賞助演男優賞受賞)などあります。
1981年に亡くなっているんですけど、それまで仕事をされていたようで、1982年公開の『The Hot Touch』では全てのシーンを撮り終えていなかったそうで、編集を余儀なくされたらしいです。
ヘルマン・グレイブ/ドワイト・フライ
1899年生まれで1918年にはスクリーンデビューされています。が、20年代はブロードウェイで活躍されていたそうで、しかもなんでもキワモノ俳優ではなかったようです(当たり前な気もする)。
1931年の『魔人ドラキュラ』同年『フランケンシュタイン』の怪演がその後の彼の人生を決めてしまった感があるようで、その後はキワモノ俳優としてでしか仕事が来なくなり、本人もヘキヘキしてたみたいです。
しかし俳優としてのキャリアはやっぱりすごくて、かなりの数の作品に出演されています。
ただ1944年に息子さんと映画を観に行った帰りのバスで心臓発作になり亡くなったとの事で、ちょっとかわいそうですっっ。
監督:フランク・R・ストレイヤー
1921年に脚本として多分初クレジット。その後1923年の映画の助監督、1925年には初監督映画を発表しています。
その後もめっちゃ映画の監督をされていまして、ジャンルもサスペンスからロマンスからと幅広く、1938年にスタートした1本が70分くらいの作品『Blondie』シリーズは計28本のうち14本の監督をされているそう。
生涯に89本の監督をし、1964年に亡くなっています。
個人的な感想
この作品、たまたまYouTubeを見ていたら出てきまして、(なんじゃこれ?)と思いながら見始め単ですよね。
しかもその動画の配信が“cult cinema classics”という海外のチャンネルで、日本語訳がついているけど、
「え?なんて?」
と聞きたくなるくらいクチャクチャ(笑)なのです。
そんな状況だったんですけど、最後まで観てしまいましたわっっ♪
まあ、間違いなくその要因はドワイト・フライですね。
彼の“元祖レンフィールド”の1歩手前のキャラクターがこの先どうなるのかが、
気になって気になって見てしまいました。
しかし途中から日本語字幕がドンドン訳分かんなくなって行きまして、
何ヶ所も「聞き取れませんでした」って文字が出てくるんですよっっ。
ちょっとアレは勿体ないですよね〜〜〜〜〜〜っっ。
そのせいもあってラストが正直よく分かんなかったので、いろいろ調べちゃいました(笑)。
でも全体的にはとても面白く鑑賞できましたので、クラシック映画が好きな方にはおすすめできるかと♪
昔の映画ってテンポが今とだいぶ違うので、それが辛い方もいると思うんですよね〜♪
という訳で今回は『The Vampire Bat』についてザックリ書いてみました♪
んじゃまた〜♪♪
※参考文献、ウィキペディア、IMDb、映画データベース-allcinema